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千葉家庭裁判所松戸支部 平成8年(少ロ)1号 決定

少年 H・Y(昭和55.8.1生)

主文

本件については、補償しない。

理由

当裁判所は、平成8年8月5日、本人に対する平成8年(少)第658号殺人未遂保護事件について、殺人未遂の行為があったことは認めつつ、当時本人が心身喪失の状態にあったことから「罪を犯した少年」といえないとして、審判を開始しない旨の決定をした。そして、上記事件の一件記録によれば、本人は、同事件により、平成8年5月11日に現行犯逮捕され、引き続き同月13日から同月22日まで勾留されたことが認められる。

そこで本人に対する補償について検討すると、上記事件のように客観的な犯罪事実は認められるが責任能力が認められないとして非行なし審判不開始決定がされた場合、心身喪失者に対して補償を行うことは健全な国民感情に反する面があるので、このような場合は少年の保護事件に係る補償に関する法律3条3号の「特別の事情」に当たると解される。そうすると、本件については、補償の全部をしないのが相当である。

よって、本件については、同法3条3号により本人に対して補償の全部をしないこととし、同法5条1項により主文のとおり決定する。

(裁判官 地引広)

〔参考〕殺人未遂保護事件(千葉家松戸支 平8(少)658号 平8.8.5決定)

主文

この事件については審判を開始しない。

理由

1 本件送致事実の要旨は、「少年は、平成8年5月11日午前11時40分ころ、少年の肩書住居地において、殺意をもって、居合わせた母H・S子(当時40歳)に対し、文化包丁で切り掛かったが、同女が抵抗したため、同女に加療約2週間を要する頭部、顔面、背部、右前腕、多発性刺創、切創、出血性ショックの傷害を負わせたにとどまり、その目的を遂げなかった。」というものであり、本件記録によれば、上記事実はこれを認めることができる。

2 ところで、本件記録を調査して検討すると、少年は、前記犯行の当時、心神喪失の状態にあったと認められる。

すなわち、少年は、喘息の発作や川崎病の罹患はあったものの、中学校を卒業するまでは精神疾患を疑わせる徴候はなかった。しかし、平成8年4月に高校に入学してから、中学の同級生の声が聞こえると言ったり、覗かれていると言ってカーテンを閉めたりするなど幻覚が生じ、また外出した母親の後を付けたり、「お母さんは宇宙から来た悪魔に左右されている。」と言ったりしていた。そして、本件犯行の際には、少年は、「死にたい。」と言って包丁を自分の胸に突きつけたのを母親に止められたところ、母親に対し、「おまえは悪魔だ、殺してやる。」と言って、何度も包丁で切り掛かっている。また、本件犯行後、少年は、「僕がお母さんを刺したのではなく、マイケルジャクソンがお母さんを刺したのです。」あるいは「A子が僕とお母さんに乗り移って怪我させた。」などと述べており、供述調書には「H・ジャクソン」「A子」と署名したりしている。

このような状況にかんがみると、検察官から鑑定を嘱託された○○作成の「H・Y簡易鑑定報告書」記載のとおり、少年は、本件犯行時、精神分裂病と呼ばれる状態にあり、事物の理非善悪を判断しこれに従って行動する能力を失っていたといえ、心神喪失の状態にあったと認められる。

3 ところで、保護処分には福祉的施策としての側面もあるが、刑罰に類似した制度という側面が濃厚である以上、少年法3条1項1号の「罪を犯した少年」といえるためには、当該少年が、犯行当時、責任能力を備えていることを要すると解される。本件では、少年は、犯行当時、心神喪失の状態にあり、責任能力がなかったと認められるから、「罪を犯した少年」といえず、審判開始の要件を欠くことになる(なお、少年については、平成8年5月20日、検察官から千葉県知事に対し、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律25条による通報がなされ、同月22日から○○病院に措置入院している。)

4 よって、この事件については審判を開始しないこととし、少年法19条1項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 地引広)

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